人間の本能が欲する欲求である「食べる」。食べない人間はいません。様々な仕事がある中、この「食」を通じて人々の生活を豊かにしたいと考えた私は、その夢を実現すべく、大学も食品(農芸化学)・就職も食関連メーカーで一貫し食業界で経験を積んできました。
具体的には大学を卒業後、上場企業の食品メーカーで品質管理・コンビニエンスストア向けおにぎり・お弁当の商品開発を経験してきました。といっても本社で業務メインの経歴ではなく、工場で体を使い勤務をしながら実務経験を積んできました。工場の実機を使用しラインテストをした上で落とし込みもしてきた叩き上げです。
開発経験をする中、使用する食材に興味をもち、バイヤー職としてミールキット会社に転職しました。そこでは前職の経験を活かし、冷凍弁当の新規事業の立ち上げ、法人向けの施設向け食材宅配事業の立ち上げを行いました。本業のバイヤー職では、ギフトやご当地の物産企画・ミールキット開発・PB冷凍食品開発・生鮮品の相場作成等を担当していました。バイヤー職として入社はしたものの、広報・社風変革のイノベーション推進・アライアンス・制作・WEBマーケの分野も業務経験をし、エネルギッシュに働いていました。
そんな中、離れた場所に住む母親が突然、病気になりしばらく入院をする出来事がありました。
母親は祖父母の病院や薬局・買い物代行もしながら、家の家事全般を行っていたので、母親が入院してからは当たり前の日常が維持できなくなりました。同居する妹が祖父母のサポートをしながら家の家事をしていたのですが、食事までは働きながら手がまわらず、惣菜・外食で父親と過ごしていました。しばらくすると父親が食事に飽きた、手作りが食べたいと言い、妹がもうこれ以上、仕事をしながら食事を作ることはギブアップだから、食事を作りに実家に戻ってきてくれないかと懇願されました。仕事もあったので、家事代行ではだめなのか聞きましたが、田舎にはそんなサービスはないのが現状です。仕方がないので、仕事をしばらく休み実家に食事を作りに帰りました。
ただ家庭の味の食事を作る。こんな簡単なことなのに、離れて暮らしていたら出来ない。
高齢化が進む日本では、いつでも誰にでも起こりうることなのだと。
しかしながら、出来ない場合は、家庭の手作りの温かい健康的な食事を食べることが出来ない。
せっかく「食」を通じて人々の生活を豊かにしたいと思って仕事をしてきたのに、このまま同じ業界で仕事をしていても、目指すべき生活の豊かさは実現できないのではないかと強烈に感じた経験でした。そして、この食業界で培った様々な経験は、私の身近で感じたような社会課題の解決に活かしたいと思うようになりました。